半分の月がのぼる空―looking up at the half‐moon
何度かレビューを書いたものの気に入らず全てボツにした因縁の作品。不意にまとまったので公開します。1から8巻まででリメイク版は読んでいません。経験上、論説文ならばともかく物語を焼き直して良くなるケースは極まれです。
たぶん、読む人によって印象がかなり違う作品。それでも、私はライトノベル(というジャンルで販売されている本)の中では最も良く書けている面白い作品だと思います。
以下は、続刊を含めて完全なネタバレとなるのでシリーズ全て読んだ方か読む気が無い方以外はお勧めしません。
タイトルの半分の月が生死半々を暗示しているのは非常に分かりやすいです。けれど、誰の生死かはわかりにくいです。最初の方は当然ながらヒロインが生き残れるか考えながら読み進めるわけですけど、途中から異なってきます。そう、小夜子の登場です。夏目夫妻の物語が進むと輝いている半分は吾郎で見えない半分が小夜子を示していると思います。それを見上げるのが主人公とヒロイン。見えるけれども遠い存在。でも、いずれは…。(←この緊張感がオペ後に無くなっているという指摘は確かに。)
正直シリーズ全て読むと主人公や伊勢との地縁は最重要ではありません。悪友やその他脇役と併せて主人公は道化役、伊勢は優れた舞台です。人生の半分を分かつかすら分からない主人公をすっ飛ばして、既にある意味完結している夏目夫妻中心で文学作品とともに再構成するととても軽い小説では無くなるだろうと思います。が、これでは読者がつかめません(たぶん、ろくに売れません)。見た目薄くでも中身厚く。
さらに、深読みかもしれませんけど気になっていたのが吾郎の台詞「ライターなんて、なんでだよ?」(一字一句正確かは記憶曖昧)。この問い(たぶん、読者への挑戦)への私の勝手な回答。鍵になるのがライター本体と伊勢ではないかと。
ジッポーのオイルライターはフリント(発火石)が付いていて指の力で火花を飛ばしてライターオイルに着火します。発火石を火打ち石と考えれば厄除けの意味があったはず。吾郎の医師という職業から小夜子が必要と考えた可能性もあります。
もう一つ、ライターは文字通り明かりになり、一時とはいえ吾郎(生存者)の顔を照らします。照らすといえば舞台は伊勢。天照大神を祀る伊勢神宮のお膝元です。天照大神は太陽の女神様といわれ、月を照らす光源でもあります。小夜子が渡した時点では伊勢へは移っておらず(推定浜松)、吾郎の縁を先取りしているとも取れます。ここまで考えた上で仕込まれていたら、結構重いかも。物語のどこかに八咫鏡に繋がるアイテムもあったかもしれませんが私は読み落としている可能性有り。
どこまで読めるかは読み手次第。という素地があるのでこの作品の評価は高いです。