伏見稲荷大社へ

 バタバタしていて熊野本宮大社の後になってしまったお稲荷さん。プリウスの整備待ち時間を利用して稲荷山へ。でも、よく調べると熊野詣での後にお詣りすべき場所らしいのでこの順序は伝統のようです。公式ページの伏見稲荷大社とは>沿革>しるしの杉(http://inari.jp/about/num07/)参照。
 往路に楼門前で人だかりができていて途切れそうになかったため、復路にチェック。鮮やかな朱色の楼門がまぶしく曇天の写真が続いていたので久しぶり(今年初?)に明るい写真です。
楼門前
 なんと、主神御自らお出迎えです。狛狐と衛兵の間にうか様のパネルがあります。禁色の一つ、深緋色のお召し物で朱色とのコントラストも取れています。
うか様パネル、よく見るとQRコードまで付いています。
 ふと、このパネルの写真を見て思い出したのがRDGの以下の長台詞(Kindle paperwhiteで検索すると角川文庫版4巻半ば辺り)です。

「これは私の右の手、下々に与えるための手だ。…(略)」
「これは私の左の手、天から受け取るための手だ。…(略)…。さて、どちらの手がいい?」

こちらの物語では略の部分がすごく重要だったりしますが…。困惑する話し相手。トドメが、この後の

「…(略)…、神ですら、たまには息抜きをするものだ。怨霊のようなものだって、たまの娯楽は必要としている。それなら、このわたしだって、ときにははめをはずしてもいいだろう」

でゲームなど娯楽の必要性を姫神様は肯定されておられます。同一神では無さそうですが同族と推定できるうか様も同様と思われます。